演奏者が困ったなと思うコンサートの聴かれ方
コンサートの聴き方はそれぞれに楽しみ方がありどのような聴き方をしてもどのような感想をもってもどのような事を批評して発信しても自由です。
しかし演奏者の立場の人は
ちょっと困るな…
と感じるお客さまに出会うこともあるのではないでしょうか。
色々な聴く楽しみ方があるので否定はしませんが、あくまでも奏者側の一意見として困ると思う聴かれ方を3つご紹介します。
- ミスや間違い探し
- 演奏のあら捜し
- 批評家気取りのコメント
イヤだな…演奏者が感じる困ったコンサートの聴かれ方
【困惑】演奏者が感じる困ったコンサートの聴かれ方
人の演奏に対して色んな感想や感覚を持つことは素晴らしいことです。
良い感想は沢山伝えて頂けると嬉しいですが、そうでない場合それを本人にわざわざ届ける必要はないです。
ネガティブなことばをかけられたとしても、それを受け流したり気にしないスキルを身につけていたとしても、ネガティブはかなり深く残ります。
生徒として学ぶ立場で先生からのアドバイスというのはとてもありがたいものです。
しかしそうでない場合は
なんであなたにそんなこと言われなければならないのか
という気持ちの方が強いです。
演奏の感触は演奏者本人が一番分かっていることなので聴衆同士での感想を共有することはアリだけれどわざわざ本人に言う必要はない。
というよりむしろ迷惑行為なのでやめた方がよいです。
では以下をさらに深掘りしていきます。
- ミスや間違い探し
- 演奏のあら捜し
- 批評家気取りのコメント
ミスや間違い探し
コンクール審査や試験官気取りで、ミスや間違いを見つけては喜んでいる人。
もちろんミスが多すぎるのは聴いていて気になること。
しかしコンサートはコンクールや試験ではないので演奏者は1つの舞台として音楽をお客様に楽しんで頂くことを考えて演奏しています。
ライブ演奏というのは様々にアクシデントもあり、その時々の状況によっては小さなミスや間違いは起こってしまいます。
コンサートの長さを考慮するとその時間内をノーミスで演奏することはほぼ不可能です。
素晴らしい演奏家はミスをミスとは聴こえないように演奏していますが、時にはやらかしてしまうこともあります。
演奏のあら捜し
ミスや間違い探しはせずとも演奏者の演奏の良くない所や気に入らない所を探すという人。
様々な感想を持つことは自由で、もちろん辛辣なコメントの中には活かすことが出来るようなありがたいものもあります。
しかしあまりにも独善的な批判が過ぎるものは奏者を傷つけいるだけに過ぎず、大変残念に感じます。
批評家気取りのコメント
時に奏者よりも多くの演奏を聴いて多くの知識をお持ちの研究者のような人もいます。
大変興味深いコメントであったり感想を頂くことは演奏のモチベーションになります。
しかし知識をひけらかしたりご自身の知識が正義のような批評はリアクションに困ります。
またあまり知識もなく演奏や楽器の事を良くわかっていないのに、まるで批評家になったかのように演奏に対して評論している方をみるとなんとも妙な心地になります。
演奏者が考える演奏会
演奏者によってコンサートに対するコンセプトやモチベーションは様々です。
ただ共通して言えることは
楽しんで頂く事
これはどの演奏者も大事にしているところです。
- コンサートの時間内を音楽とその他の空間も含めてお客さまに楽しんで頂く
- 作曲家の作品を知って頂き、その音楽を奏でる時間を奏者とお客様で共有する
- 奏者がメインの場合は、奏者のキャラクターとその演奏を聴いて頂く
様々な公演があるので時に自分が演奏することが精いっぱいで、演奏会を発表会のようにしか捉えられない拙い奏者も中にはいます。
プロとして自負する演奏家は
演奏会はお客様ありき
というスタンスで、音楽や会場の雰囲気またコンサートの企画などをトータルで一つの舞台であると考えています。
まとめ
企画、楽曲についての勉強、演奏、MC、お客様対応など、演奏会においては演奏する以外の事も多くあります。
商業ベースに乗り巨大なマネージメントやスポンサーがつかない限り「演奏者は演奏だけ」という状況にはまずなりません。
ミスも同やり過ごすのかがライブでの見ものであったりするので、そこも合わせて楽しむという聴き方もあります。
ただ演奏に対してミスや間違い探しをし独善的に批判されることは、演奏者にとっては傷つく以外のなにものでもありません。
しかし…時に「金返せ」と言いたくなるようなコンサートもある事は否めません。そ
れは辛辣なコメントに値するものかもしれません。
どんな聴き方をするのも感じる事もそれはお客さまのものですが、一緒に楽しむというスタンスで聴いていただけてそれにお応えしたいというのが多くの演奏者の願いです。