【ピアノの才能】「才能がある」「才能がない」とはどういうことか
自分には才能がないのかな…才能ある子はどういう子なの?才能はいつ分かるの?それが分かれば続けるか辞めるかを決めれるのにと考えている人は少なくないようです。
うちの子は才能がありますか?
私には才能がありますか?
と質問してくる人がいます。
この「才能」という言葉に翻弄されて苦しんでいる人は多い。
これまでの教育で「才能がある」「才能がない」は先生に評価される事と紐づいていたので「才能」という言葉に幻想を抱く風潮が未だあります。
しかし実は一口に「才能」といっても明確な基準はありません。目に見えて分かりやすいのは国際コンクールに入賞するなどの大きなステータスを得ることですが、だからと言って受賞歴がない人に才能がないわけではありません。
才能は著名人やプロからの認知でも認められますし、まったく異色の活動をしていてファンが沢山ついて認知され才能があると言われるようになる人もいます。
また逆に著名な誰かに才能があると言われても世の中では認められなかったり、露出しまくっているうちに「才能がある」と言われるようになったりします。
実際に現在よく知られている作曲家や画家の中にも生前はあまり認知されず、没後にブレークした人もいます。この事実からも「才能」には明確な定義があるのかの答えを述べることははなかなか難しいものがあります。
未だできる子を「才能がある」と分類したがる人は一定数います。しかし才能の正体を知ると、あの人には才能があるから…私には才能がないから…と安易に「才能」で語ることは違うんだなとわかります。
この記事では、ピアノや音楽、芸術やスポーツで言われる「才能」とは何なのかを考察していきます。
【ピアノの才能って何?】「才能がある」「才能がない」という言葉に苦しんでませんか?
人に「才能があるかないか」を言えるのは実際に才能があると認知され、才能が何かが分かる人でないと言えないことです。だからこそ自分はそれが分かる人であることを承認されてたいために「才能があるかないか」を人は言いたがるのでしょう。
しかしここで注意しないといけないのは「才能」でカテゴライズするのはレッテル貼りにも似ています。
最近では個々に活動する場も増え、才能の認知のされ方は多様化されています。しかしあまりにも「才能」という言葉に囚われすぎると、ピアノや音楽をすることの本質から離れてしまいます。
では以下の3つの点について深掘りしていきましょう。
- 音楽的な才能があると言われるのはこういうこと
- 才能が認知されるため必要なこと
- なぜ「才能」というワードで苦しむのか
- 才能はいつ分かるのか
音楽的な才能があると言われるのはこういうこと
音楽的な才能は、誰かに見出された小さな可能性を切磋琢磨することで作り出されていくものです。
かの有名なギフテッドのモーツァルトも才能を発揮させる環境を父親が与えなければ今日のような伝わり方はしていなかったでしょう。
音楽の本質が分かるようになると、実際に才能を感じる演奏をする人が世間一般で才能アリとされているかというと残念ながらリンクしていない場合もあります。
演奏が良いだけでは認知されないのが現実です。
一般的に「才能がある」と言われる人にはいくつかの特徴があります。
- 教室で先生に気に入られている
- コンクールに入賞する
- 有名校へ進学する
- 有名な先生に褒められる
- 世間に注目される
- 他者が出来ない事が出来る
どれが正解でどれが違うというのはなくて、傾向としてあるという事です。
この路線から外れていると例え素晴らしい演奏をしていたとしても認知されずに埋もれてしまいます。
才能が認知されるために必要なこと
「才能がある」と認知されるには実は演奏以外に必要なことが多くあります。
- 音楽とは直接関係のない基本的なことが出来る
- 人が手助けしたくなるような余白を作り出すのがうまい
- 人に気に入られる
- やり通す力がある
- 積極的に人に売り込める
- 運をつかめる
既に社会的認知度の高い学校や先生などとのコネクションを自分の価値を上げるために利用する強かさを持っている人もいます。
貪欲に「才能がある自分」を作り出す力がある人です。
それがいいか悪いか、心が動くか動かないかは別として、そういうことも才能の一つとして発揮します。
なぜ「才能」というワードで苦しむのか
上記の説明からも才能の有無は他者からの認知によって成り立っています。
少し乱暴な言い方をすると
有識者や権力のある人が才能があると言えば才能アリに、ないと言えばナシになってしまう事も起こってしまう
のです。
才能が他者からの認知であるがゆえに苦しむ理由はこんなことが挙げられます
- 他者比較
- 他人の価値観の中で存在する
- 本来のそのことが出来るという事より人からの評価を得ることに価値観が歪んでしまう
- ある特定のことが出来る人間が才能ありという枠に入る
- 才能に囚われると二元論に陥りがち
- やらない理由を探してしまう
つまり、人からの評価によって才能のアリナシというのは世の中に存在している。
人に気に入られたい、人より上に立ちたいがモチベーションになってしまっていて、音楽をやりたい、ピアノを弾きたい本来のモチベーションからずれてしまっているために苦しんでしまうのです。
才能はいつ分かるのか
ピアノ…音楽の才能は遺伝的なものもありますが、どちらかと言えば可能性を磨ける環境下にいるかの方が大事です。
子どもの頃に神童のような人でも、才能を育む環境がないといずれ能力は廃れてしまいます。
この子には才能がありますか?早い目に教えて下さい。
と聞いてくる人は一定数います。才能があるかないかを誰かにジャッジして貰えれば続けるか辞めるかを決められるという理由です。
人に決めてもらって行動をするのは自分の決定に責任を持たないということ。結果が悪ければ人のせいにできるし責任転嫁もしやすい。こういった事を聞いてくる時点で才能云々より先に進むハードルがグンとあがってしまします。
ジャッジする先生もいると思いますが、それはそれで決めたい人と決められたい人のバランスが合っているなら良いですが誰の人生なのかという事です。
多くはある一定の時期まで頑張って本格的に先に進めそうなのであれば条件提示をしてご家族で話し合って決めるというパターンです。
才能は小さな可能性を切磋琢磨して経験を積んでその先に評価される事や認知されること。
経験することをすっとばして「才能は人から注目される事」と考えていると、どんなにその時に演奏が上手でも、他者比較につきまとわれ苦しむことが多いです。
才能はいつ分かるのかの答えは
- 環境下にないのであれば最初から分かっている
- 切磋琢磨することができるなら後からわかる
です。
まとめ
才能の有無は、有名な人や権力、発言力のある人によって作り出される傾向があり、時代が変わればその基準も変わります。
また地道な努力を重ね世間の評価を得る努力をして認められる才能もあります。
才能がないと嘆く人は、自助努力が出来ないのを才能のせいにして諦める理由にしています。
自分がやろうと思ったことを、自分の出来る方法で継続する。それが結果的に世間に認知されれば才能があるという事になるのかなと考察します。
ピアノの才能についてお話しました。
- 音楽的な才能があると言われるのはこういうこと
- 才能が認知されるため必要なこと
- なぜ「才能」というワードで苦しむのか
- 才能はいつ分かるのか
色んな価値観があり、色んな考え方があるので、一音楽家の一意見としてお読み頂けてますと幸いです。
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