気持ちを込めた演奏とは~その正体は勘違い!?
今回は気持ちを込めた演奏って何なのか?ということについてのお話です。
レッスンで
気持ちを込めて演奏しなさい
というアドバイスを受けることがあると思いますが、気持ちを込めるのが音楽がどういう状態なのかの基準が今一つはっきりしていないという難しさがあります。
抽象的な表現はことばの捉え方や言葉から連想されるものが共通しないことも多くて勘違いを招いてしまうことがあります。
この記事では気持ちを込めた演奏の勘違いについて3つのポイントでお話します。
- 感情の赴くままに演奏する
- 技量不足で音楽にならない表現
- 自己陶酔
【驚愕の事実】演奏に気持ちは込められない?3つの勘違いについて
気持ちを込めた演奏というアドバイスがどうして勘違いを引き起こすのか、まずは「気持ちを込める」という言葉の意味から見ていきましょう。
各辞書の意味は「心を込める」と同じのようです。
愛情や配慮、願い、祈りなどの気持ちを十分に含ませることを表す言い回し。また、そうした気持ちのもとに物事を行うことを意味する。
weblio 辞書
では「込める」の意味をみてみましょう。
1 ある物の中に、しっかり収め入れる。詰める。「弾を―・める」
2 その中に十分に含める。特に、ある感情や気持ちを注ぎ入れる。「力を―・める」「願いを―・める」「真心を―・めた贈り物」
3 ある範囲に別の物を含める。「税金を―・めた価額」
4 霧・煙などが辺り一面に広がる。たちこめる。「霧が―・める」
5 閉じこめる。こもらせる。
6 包み隠して表に出さないようにする。
7 力でおさえつける。また、やりこめる。
goo 辞書
込める…というワードにどうやら勘違いを生む要素がありそうですね。
ぎゅっと押し込むというような、詰め込むようなイメージが少なからずあります。
では、気持ちを込めた演奏の勘違いポイントについて
- 感情の赴くままに演奏する
- 技量不足で音にならない表現
- 自己陶酔
深掘りしていきます。
勘違いその1:感情の赴くままに演奏する
感情は出し方によって「稚拙」と捉えられます。ここでいう「感情の赴くまま」はコントロールしきれない「情動」を意味しています。
なので情動表現は大人がやってしまうと「感情をコントロールできない未熟なメンタルの人」や「子供っぽい人」とみなされてしまいます。
感情の赴くままの表現はすなわち子供の表現方法とリンクします。
こんな話があります。
ミュージカルのアニーの子役はどれだけ「感情の赴くまま」に演じる事が出来るかがポイントだそう。
感情の赴くままであることがとても子供らしい表現で素晴らしいと言われています。
これは子供の役だから成り立っています。
発表会でも子供による子供らしい演奏は「感情の赴くまま」が良いのかもしれません。
しかしクラシック音楽は成り立ちからも大人が楽しむために書かれている曲が多いため、子供らしい演奏よりむしろ大人っぽいとされる演奏に評価があったりします。
「大人な表現」には音楽や芸術に共感しつつ冷静さが必要です。
えー!でも素晴らしい演奏ってすごく自由だし聴いたら感情とか情景とか感じる!
と思われるかもしれませんが、それは聴く側が感じていることなので表現する側とはまた違います。
聴いていて音楽として感動を覚えるような自由奔放にルバートたっぷりの演奏は、実のところ演奏者側は非常に冷静で論理的な構築をしたうえで、ギリギリのラインをついた表現をしているのです。
しかし
「感情の赴くまま=自由な表現」
と勘違いしている人も多くいます。
演奏は音で演じることで、どのような表現だと人にどういった心理的影響があるのかをひも解くための確立された理論もあります。
音楽がそう聴こえるように効果的に聴衆に届ける手段が演奏なので、決して「感情の赴くまま」ではないのです。
勘違いその2: 技量不足で音楽にならない表現
聴衆の立場だと聴こえてくる音楽に感情や気持ちを赴くままに動かすことが音楽を聴く楽しみの1つだったりします。
しかし表現する立場は聴き手に伝わるように演奏することが重要です。
音楽にシンクロして何かを表現したいと思い実際に音楽として表現するためにはかなりの技量が要求されます。
表現するテクニックが足りないと、本来心地よさを生むはずのアゴーギクや音楽とリンクしているはずの体の動きや表情が、出てくる音楽よりも先走っている印象を与えてしまいます。
せっかくのアゴーギクや音楽を表現しているからこその顔や体の動きがデフォルメされてしまいがち。何かを表現しているようにも見えてしまうので、
※「顔芸・動き芸」などと言われてしまい、実際に素晴らしい表現をする人も音楽と連動して体の動きや表情の変化があるのでネタにされてしまうのがすごく残念です。
勘違いその3:自己陶酔
自分は気持ちを込めて演奏をしているという人の音は、実際にはそのようには聴こえていないこともあります。
「気持ちを込めて演奏した」という事に陶酔して自己満足に終わっていないか?そういうフィードバックは常に必要です。
込めた・込めていない、ではなく音楽が伝わっているか。
自己陶酔演奏はナルシスト奏者のファンにはたまらないので一つの形としてはアリなのかもしれませんが賛否両論が激しい演奏であることは確かです。
まとめ
心をこめるという事は、音楽に共感し作曲者が伝えたかった事を音にして音楽がそのように聞こえるように表現すること。
箱に何かを積めるような感覚で気持ちという目に見えないものを演奏に込めていくこととは違うと思います。
共感した音楽を確かなテクニックで表現すると、結果的に聴衆がさみしい気持ちやうれしい気持ちになるだけであって、さみしい気持ちになったらさみしい音が出るわけではありません。
心を込めた演奏というのは、音楽に共感して論理的に理解し、それを表現することが可能なテクニックに支えられ、十分な練習を積んで表現した演奏のことかなと思います。
気持ちを込めた演奏の勘違いポイント
- 感情の赴くままに演奏する
- 技量不足で音楽にならない表現
- 自己陶酔
解説しました。
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