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天才と努力家の二元論を唱える違和感について

つぶやき, 努力家, ラベリング

時に音楽家や演奏家を「あの人は天才」「あの人は努力家」と簡単に二元論的に分類されることがあります。

ミャウジ
ミャウジ
何もしないで出来る人を天才、いっぱい練習する人を努力家って言ってる人いるね。
タイプ分けも楽しいものだったらいいけど、こういう区別はサボる言い訳とかディスりに聴こえちゃうよね
かずねぇ
かずねぇ

天才と努力家の区別がディスりでサボる言い訳である?何気なく使ってしまいそうなタイプ分けですが、いったいどういう事なのでしょうか。以下をみていきましょう。


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天才とラベリングされている人

すぐにパッと器用に出来てしまう人を天才のラベリングされる傾向があります。

歴史上で天才とされる人は、例えばサヴァンのような何某かの特殊な脳機能を持っていて、その才能を認知しマネージメントをして世に広めようとしてくれた人がいるから天才と周知されています。

その人たちは努力せずに才能を発揮しているのかというとそうではなく、一般的な人よりも多くの制作や演奏などの活動をしているので、それに携わる準備の時間になにもしていないわけがなく、その実績だけでものすごい経験値となります。

天才とラベリングされていた人達の中でも、その才能を認知せず自助努力せず放置したり、過信して評価におぼれ努力をおこたれば、下手になってしまいます。

努力家とラベリングされている人

時間をかけて物事をなす人を努力家とラベリングされる傾向があります。

練習魔と言われる演奏家たちは、自身の中にはっきりとした目的があるから練習しているだけで、他人に練習時間をアピールするためではありません。自身が納得するまでに時間を要する人もおり、その時間は努力ではなく必然だからです。

時間をかけるのは努力ではなく自分に必要な時間だからです。やりたいことがあり、それが出来るまでやるための時間で、それをこなせるというのは1つの天分です。

また例えばリサイタルクラスのコンサートを月に何本もプログラムがすべて違うような演奏活動を行う場合は、レパートリーではないものに着手する時は弾けるまでに時間を要します。

何故ディスりやサボる言い訳なのか

個々に必要な時間の費やし方に対し「努力」という言葉の枠にはめ込もうとする浅はかなラベリングは、婉曲的に「時間かけなければ出来ない人」という揶揄や、「時間をかけるなんて自分にはできない」と忍耐力のなさを他人の行動に投影しているにすぎません。

そしてまた「天才」と言って世間的に認知された才能を比較対象を提示することは、自助努力をしない事を正当化しているだけです。

まとめ

演奏家には様々なタイプがいて、各自で扱う楽曲にも差があります。短い練習時間で足りている場合は、レパートリーや自分の作品を演奏する場合、また曲の難易度もさほど難しくなければ、それ以上の練習をする必要はないので無駄に時間稼ぎのような練習はしないでしょう。

新曲を演奏しなければならない、難曲を演奏しなければならない、技術的なポテンシャルのいる本番があるなど、状況によって必要な練習時間が変わってきます。

パッと器用にこなす人には反復練習や理解を深めるという苦手な作業があるし、時間をかける人は納得するまで自分自身の中の大きな苦悩の時間があったりで、どんなタイプの人間でも認知される才能と言われるレベルに達するまではトータルに要する労力や時間は差異はありません。

時間をかけずに出来る人が天才、時間をかけてやる人を努力家という二元論は軽忽なタイプ分けであることは否めないでしょう。


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