【衝撃の事実】演奏家は「感情をこめて」弾いていない
今回は、演奏に感情を込めるということについてのお話。
えー!?と思われるようなタイトルですみません。
ときどき
「演奏に感情をこめる」
という言葉を聞きますが、コレ、ちょっと違うなと思っています。
では、感情を込めていないのなら、人に届く演奏ってどういうもの?という疑問が浮上しますよね。
演奏する時、音楽が表現されていると感じるような演奏は、どうしてるのかという事をお話していきます。
- 感情を込めるがなぜ違和感があるのか
- 感情を込めないのなら表現のモトはなんなのか
- どのような感覚で演奏するのか
この3点を切り口に解説していきます。
感情を込めるという言葉に違和感を感じず演奏される方もいると思いますので、一音楽家の一意見のエンタメとしてお楽しみください。
【それってホント!?】演奏家は感情をこめて弾いてはいない!?
【それってホント!?】
演奏家は
感情をこめて
弾いてはいない!?
演奏家は感情をこめて演奏しないというと、少し語弊があるかもしれませんが、
感情を込める=一心不乱に気持ちの赴くままに演奏する
という事はしないという事です。
若いうちは、情動的な演奏によって集中を得る事もあるので、憑依したように演奏する方が伝わるものが多くあるかもしれません。
しかし見た目は演奏中フガーと弾いていても、リラックスして集中しているという状態が一番よかったりします。
いわゆるゾーンてやつです。
では以下の3点
- 感情を込めるがなぜ違和感があるのか
- 感情を込めないのなら表現のモトはなんなのか
- どのような感覚で演奏するのか
サクッと解説していきましょう。
感情を込めるがなぜ違和感があるのか
自分が作った曲や歌を自分自身で演奏する場合には、感情と音楽の隔たりは少なく感情を込めるという表現でもあまり違和感は感じません。
しかし作曲をしない人は、他の人が作った作品を演奏します。
人さまの作品に自分如きの感情をねじ込んでどうする!
と言うのが感情を込めるという表現の違和感だったりします。
感情を込めないのなら表現のモトはなんなのか
表現のもとは、
作品の論理的な理解と感覚的に作曲者の意図を読み取ったものを、自分の中にある感覚で自分という媒体で演奏する。
という感じ。
文字で書くとめんどくさい感じがしますが、簡単に言えば
「音楽に共感して反応させて演奏する」
という感覚です。
どのような感覚で演奏するのか
音楽と対話してる感じがします。
演奏中は技術的な難所や、音楽の辻や角、分岐点などのチェックポイントみたいなのがあって、そこを通過する時には少し意識がありますが、基本的にはぼーっとしているのがベースで弾いています。
敢えて言語化するなら
- 反応する
- 共感する
- アタマにある模様をなぞる
心地よい状態で音楽に反応する感覚です。
まとめ
演奏家は感情をこめては弾いていないことについて
- 感情を込めるがなぜ違和感があるのか
- 感情を込めないのなら表現のモトはなんなのか
- どのような感覚で演奏するのか
この3つを切り口にお話しました。
日常生活でも表現の感覚というのはあって、
- 自己主張
- 自己顕示
似たような言葉なのに、全然意味もニュアンスも違いますよね。
感情を込めるのは自己主張というより自己顕示だな。という感じがします。
色んな考えや感覚がそれぞれの音楽家にありますので、一音楽家の一意見のエンタメとしてお楽しみ頂ければ幸いです。