【批判する人の心理と対処法】行き過ぎた批判(悪口・誹謗中傷)は劣等感や不満の投影
批判されるのは自分が元気な時はあまり気になりませんが、精神状態によってかなりダメージを食らうことってありますよね。
批判はダメなことではなくむしろ意見の多様性のためには必要なものです。明らかに誤っているとある人が思う信念とは違う方向性に対して意見を言うことも必要なことです。
しかし、この「批判」が転じて「悪口」や「誹謗中傷」へと変貌していくことが問題です。
そして簡単に「批判」をしてしまう人ほど、それが悪口や誹謗中傷になってしまっている認識が薄く、正義だと思い込んでしまっているのを見る例も残念ながら少なからずあります。
また一意見として述べていることに対し、勝手に自分への批判と捉え逆切れしてくる人がいることもあります
最近あったニュースで「私人逮捕」という言葉を耳にされた事がある人もいるのではないでしょうか。私人逮捕とは明らかな犯罪行為を現行犯で見た時は警察官のような逮捕権限のない一般の人でも逮捕ができるというものです。
しかしこの「正義」も行き過ぎて逆に犯罪行為となってしまうこともあります。これは正義や正論はかざすことによって脳が快楽を憶えてしまい、正義と思う事は何をしてもよい、正論であれば人をぶん殴っても良い、さらに自分の正義アピールのために悪を捏造するという「歪んだ認知」から引き起こっています。
この例からも自分自身の中にフツフツとうまれる「批判」はもしかしたら「悪口」や「誹謗中傷」や行き過ぎた犯罪行為になってしまっていはいないか、と顧みて、かなり危険なものであるという認識は持っておきたいものです。
この記事では「批判」がなぜ起こるのか、批判する人の特徴、心理、対処法についてお話していきます。
批判とは
まず「批判」とは何かを見ていきましょう。
ひ‐はん【批判】
① 批評して判断すること。物事を判定・評価すること。
② 裁判で判定・裁定すること。判決
③ 良し悪し、可否について論ずること
このように辞書にはかかれており、批判そのものは悪いことのようには思えませんし、むしろ社会的に間違った方向性に一石を投じたり、一意見として在った方がよいものでしょう。
行き過ぎた批判
批判されたこと対してすなおに別の意見があると受け止められる時もあれば、気分が悪くなることもありませんか?
気分が悪くなる批判には特徴があります。意見なのか行き過ぎた批判なのかの違いは以下ではないでしょうか。
①批判からだんだん悪口にエスカレートして結局誹謗中傷している
②明らかに悪意があったり言葉で煽ってくる
③意見の投じようがないくらい理不尽に攻め立てる
④自分が弱者、被害者の立場を作り上げ、悪者にしたてあげられる
⑤知性がある有能であるアピールのためのマウント
SNS上でよく見られるエアリプは時に行き過ぎた批判となり、悪口や誹謗中傷に発展していくものも少なくありません。
はじめは自分の意見として少し言葉を選びつつ批判していたのが、同じような気持ちの「仲間」を見つけたら転じて「本音の悪口大会」が始まります。
そしてこれが集まって文字の槍となって人の心をグサグサにするのです。辛辣な言葉で飛び交う文字はだんだん狂気じみてきて凶器となって襲ってきます。
行き過ぎた批判をする人の特徴と心理
ではここからは行き過ぎた批判をする人の心理について考えていきます。一言で言えば行き過ぎた批判は「幼稚な自己防衛」「劣等感の投影」ですが実際に自分の身に降りかかると気分の良いものではありません。
批判する人がどういう人なのかが分かれば対処法も見えてきます。
行き過ぎた批判をする人の特徴
批判する人は、優越の錯覚が強い傾向があります。優越の錯覚とは集団の中などで自分が中~上程度に位置しているというという認知バイアスです。精神的な幼さの表れと言われています。
特徴は
①そのことについて知識が浅い
②自分の知的さや有能さをアピールしたい
③挑戦の経験が少ない
④批判する時間と労力がある
⑤実体験ないのに自分ならこうする、自分なら出来ると言う
など。
実際に経験すればするほど同じことをしている人に対しては敬意しかありません。違いは違いとして多様性を認めるようになります。批判は未経験、経験が浅い、未熟だから言えてしまうのです。
行き過ぎた批判をする人の心理
なぜ行き過ぎた批判をするのか、その心理をひも解くとこういうことが挙げられます。
①劣等感
②自己肯定感が低い
③不満
④ドーパミン不足
⑤老化
⑥カタルシス
あなたが嫌い、あなたがムカつくを「批判」というフィルターを通すことで「わたしは知的に論理的に正当な意見を言っている」とみせようとしていて、かなりこじらせています。
行き過ぎた批判をする人がとる行動
自分の正義を貫いていると信じて疑わない人が多いですが、冷静に見ていると共通するその後の行動があります。
行き過ぎた批判をした人が取る行動
①自分と同じ意見を言う人を探す
②自分と同じ意見の人に賛同を求める
これも「自分の正しさ」を誰かに共感してもらったり証明しようとする幼稚な自己防衛の一つです。人間は自分に必要な情報しか集めようとしませんし、自分の存在を保てなくしてしまうような意見は遠ざけたいものです。
遠ざけるだけなら問題ないですが、直接害を及ぼしたわけでもない人を批判して攻撃するのはもはや正しい批判ではなくただの誹謗中傷です。
なぜそのような行動を取るのかというのは、自分と同じ価値観の人間とつるんで話をするのはホッとするし楽だし、悪口は言ってる時はドーパミンがドバドバでるので、一時的に脳が快楽におぼれていると考えられます。
批判する人への対処法
こここではいくつかの対処法を上げます。批判する人への対処は批判レベルによるところもあります。
①完全にスルー
②不快感を表明しスルー
③徹底的に交戦
④弁護士相談
⑤精神的な苦痛があれば診察を受け被害届だす
これは誹謗中傷する人への対策と同じです。【保存版】誹謗中傷する人の心理と自分を守るための対策
完全にスルー
二次的な被害がなさそうな場合はこれに尽きます。相手にするだけ心身を消耗してしまいます。自分が忙しく充実して過ごせるなら相手にしないのがベスト。
しかしモヤモヤは残るので、どうして批判や誹謗中傷、悪口を言うのかを自分の中で理解して整理する必要はあります。
不快感を表明しスルー
同じコミュニティに居たり、仕事などでその後も関わらなければならない相手の場合は「不快感」は出しておきましょう。でないとまた同じことをされます。
不快感の出し方はいくつかあります。
①仲良くしない
②敬語の姿勢を崩さない
③京都人になる
④不快だからやめてと直接言う
一度こういうことがあって、何食わぬ顔で話しかけられても、もう仲良くはしたくないのが心情でしょう。なので不快感を表明しつつスルーするのがベスト。
人は一度「嫌い」になてしまうと「好き」に転じるのが脳の一貫性という性質がありまた仲良くなるのは難しいので、その後ストレスを抱えながら関係を続けるより、新たな出会いを求めて前進した方が建設的です。
→【もう気にしない】嫌われたら好かれようとしてはいけない理由
徹底的に交戦
批判に対し相手と同じ方法で批判し返します。
しかしこれはかなり消耗するのと、因果応報で自分自身にまた批判という形で返ってくるので、メンタルの体力があって、どうしても交戦しないと気が済まない人にしかオススメできません。
そして批判しながら煽ってくる人は、更に辛辣な言葉で攻撃してきます。攻撃的な批判相手と分かり合えることはないし、平行線をたどった上に、どちらかが次のステップ(弁護士相談や被害届だす)へ発展してしまうことも。
交戦してしまうとこちら側が勢いで発した言葉に対しての責任追及されたりしますので、これはあまりお勧めできない方法ですが、やらないと気が済まない!というタイプの方はその後の準備を固めた上で。
ただ、ある程度戦う意思を見せておかないとエスカレートしてくる相手もいるので、どの程度どのように交戦するか、かなり頭を使う必要がありますが戦力がある事は示す必要もあります。
弁護士相談
ちょっとした批判は一過性のものも少なくないので、放置しておくと消えてしまうものもありますが、長引いたりエスカレートするようなら、迷わず弁護士相談して下さい。
弁護士に相談している
と発信するだけでもかなりの抑止力になります。
精神的な苦痛があれば診察を受け被害届だす
ご自身のメンタルが誹謗中傷によってかなりダメージを受けてしまい、日常生活が送れなくなってしまうようでしたら、診察を受け被害者届を出すことになります。
ここまで心をズタズタにされるひどい誹謗中傷は事件扱いになります。というか警察は事件にならないと動かないので、かなりヤバイ状態です。
こういうことに至る事は稀ですが、全くないわけではありませんので、最終的には被害届出すという手段があることは知っておくだけでも少しは心のお守りになるでしょう。
さいごに
行き過ぎた批判、誹謗中傷、迷惑行為をする人がどういう層の人間なのかを調査したところ、社会的弱者が多かったという記事を見ました。
しかし、恐らく属しているコミュニティーにもよるのだとは思いますが、決して社会的弱者だけがやっているわけではないのが実体験としてあります。
何かを発信したり企画運営で事業をしていると、行き過ぎた批判や誹謗中傷、迷惑行為をする人にそこそこの確率で定期的に出会います。
その人たちは決して経済的に貧困というわけではなく、ある一定の生活水準は保てはいるものの、心が満たされていない。時間と少しお金に余裕があるけど不満が多いという人が圧倒的に多い印象です。
時間も体力も持て余しているので、とにかく執拗。人を攻撃することでしか自分を守れない人と理解し、関わらないようにするしかありません。